田内千鶴子生誕110周年に寄せて/再び種をまくつもりで

 「地球村」という言葉がいつの間にか消えてしまいました。
「地球村」という言葉は、世界が「一つの巨大なコミュニティ」であり、「一つ」であることを象徴する温かい言葉です。しかし今、平和と連帯、分かち合いと協力、愛と共同体という言葉の代わりに、葛藤と反目、紛争と制裁、禁止と抑圧という言葉が私たちの周りに罠のように横行します。

過去の遺物であると考えていた冷戦体制が再び復活することを私たちは見せられています。私たちは、これをいわゆる「新冷戦体制」と呼んでいます。今の冷戦は民族主義と、経済・貿易の葛藤、理念と宗教の対立、領土紛争と帝国主義の復活が絡み合い、その解法の糸口が見えません。
こういう時だからこそ、私たちは基本に立ち戻る必要があります。 私たちが守ろうとしている貴重な価値を取り戻すこと。今私たちは直ちにやらねばなりません。人間の尊厳と人間への愛は、その価値の中でのみ確立され、存在するからです。

ここに愛の物語があります。

あの厳しくて邪悪な時期に、愛でそのすべてを克服した物語です。奇跡だとしか言えない話です。
日本が韓国から撤退した後、両国は長い間断交の時代を続けてきました。その間に残ってしまったわだかまりとして、両国は敵対的な関係とならざるを得なかったのです。しかし、その憎しみと葛藤の中でも黙々と愛を実践した女性がいました。

韓国人の男性と結婚した日本の女性、田内千鶴子がまさにその主人公です。田内千鶴子は、木浦で夫と共に共生園という孤児院を運営して韓国の孤児を育てました。彼女の愛の偉大さは、朝鮮戦争以降に、夫が行方不明になると共生園に残り、夫の代わりに一生を韓国の孤児のために献身したことに表れます。
真の愛と犠牲は、違う形で愛と奇跡を生み出しました。
まだ日本に対する敵対感が膨脹していた時期だったにもかかわらず、彼女が他界したとき、木浦市は初めて市民葬で彼女の死を哀悼し、彼女の犠牲を称えました。自分の病院代を惜しんで子どもたちの食べ物と学用品を準備していた千鶴子の愛が人々の心を動かしたのです。愛はすべての憎しみと悪意と敵意を倒し、再び新しい愛を育みます。

その奇跡のような出来事は、千鶴子の死で終わりませんでした。
彼女の息子である私はお年寄りに仕える仕事をしています。故国に帰ることができず、日本で寂しく死を待っている韓国老人のための最後の避難所、憩いの場、「故郷の家」を運営しながら、彼らの人生の最後の時間を大事にしています。「故郷の家」には、亡くなった韓国老人たちの遺骨が祀られ、裏庭に造成された平和と祈りの庭園にその方々がいらっしゃいます。その空間は、新しい平和の空間であり、共存の空間であり、愛と慰めの空間です。

千鶴子が残した崇高な犠牲は、これがすべてではありません。その犠牲と愛の精神は、国連「世界孤児の日」制定というより大きな目標に向かっています。
千鶴子の一生の願いは孤児のない世界でした。今この瞬間にも地球上には数多くの孤児が生まれています。内戦と国家間の紛争、麻薬と暴力、事故や病気など、様々な理由で多くの子どもたちが両親を失い、命の脅威にさらされています。子どもたちは人類の未来であり、希望です。再び地球村、その価値を取り戻し、その子どもを覚え、愛と協力、分かち合いと連帯を通じてその子どもを守らなければ、人類の未来は決して明るいものとはならないのです。

コロナでしばらく中断された国連「世界孤児の日」制定を再び展開したく存じます。そして、故郷の家の裏庭にある平和と祈りの庭園に込められた愛と人間尊重の価値を再確認し、これを通じて日韓・韓日が新しい協力関係を築く糧になればと思います。

社会福祉法人こころの家族
尹基(Tauchi Motoi)

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