手記「40年目の祝福の日」/佐野良一

尹基理事長と出会い、「共生園」に纏わる尹致浩伝道師と田内千鶴子先生の事績に感銘を受けてから早や40余年の歳月が過ぎた。その間「共生園」関連資料、尹基理事長著作などの翻訳を通して尹致浩・千鶴子夫妻(理事長のご両親)の、即ち基督教に基づいた精神、思想におおいに触れて来て、それらを尊び崇めることはあっても、自らそこに自分の居場所を求めることはなかった。1995年に田内千鶴子先生の生涯を描いた映画「愛の黙示録」にラインプロデューサーとして呼んで頂き、千鶴子先生の無私の愛に深く触れて木浦近郊玉洞村の尹致浩・千鶴子先生の眠る丘の墓碑に刻まれた『詩編23』の“主は私の羊飼い…”の言葉に出会い、その頃から聖書に出てくる“私と共に”、“共に生きる”という言葉を知り、尹致浩先生の“共生哲学”と千鶴子先生のその実践に深く惹かれ、またその哲学を今に生かされている尹基理事長に一層の尊敬の念を抱くことになる。

その後20年以上が過ぎ、僕は突然脳内出血に倒れ車椅子生活を余儀なくされて、独り暮らしが非常に危険で困難になった。それを見兼ねた尹理事長の配慮で僕は2017年に「故郷の家」で暮らすことになった。ありがたいことに尹理事長はそこで僕に「共生園」、「故郷の家」関連の執筆、翻訳の仕事を与えてくださった。「故郷の家」での安全で安心な暮らしがずっと続く筈の僕だったが、2019年膀胱癌の宣告を受けた。以降今年まで3年間に亘り、施設長以下職員の篤い介護を受けつつ癌治療に専念した。

そして僕はこの時初めて施設内エルシオンチャペルでの日曜礼拝に参加した。「共生園」と出会って40年が過ぎていた。この間尹基理事長から僕は一言も〝主を信じろ〟とも、〝礼拝に出ろ〟とも言われたことはなかった。

僕が急に日曜礼拝に参加し始めた理由は敢えて言えば尹致浩・千鶴子先生から尹理事長に繋がる”共生の脈”の中で生きる自分の幸運への多少なりともお礼の意味と共に、自分もその脈に繋がりたいという気持ちがあった。

4月末膀胱摘出という大手術を受けて退院の目処もつかなかった時、病室に尹基理事長からメールが入り〝君にひとつだけお願いがある。退院したら洗礼を受けなさい…〟40年目にして初めて理事長から聞いた福音だ。思いもよらぬこの言葉だったが、僕は躊躇することなく〝はい。お願いします〟と返信した。短いやり取りだったがここには2人の40年の思いが籠っていた。

その後まもなく退院日が決まり、僕は5月23日「故郷の家・東京」エルシオンチャペルで尹基理事長夫妻、多胡元喜理事、朴正米施設長臨席の中淀橋教会峯野龍弘牧師から洗礼を受けた。峯野牧師から「今日、キリストの十字架の贖いによって罪赦され、神の子とされました」と力強く宣言され、「アーメン」と答えた。自分にこのような祝福された日が訪れるとは考えたこともなかった。

 

佐野 良一 1949年大阪生まれ。元韓国日報記者。イベントプロデューサー。映画「愛の黙示録」にプロデューサーとして参加した。  現在、「故郷の家・東京」で生活。翻訳・執筆の仕事を続けながら闘病と感謝の日々を送っている。5月23日、施設内のエルシオンチャペルにて洗礼を受けた。

写真=洗礼式を終えて、花束を持つ佐野さん。後列左から3・4人目に峯野龍弘・美佐子ご夫妻。

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