韓国・共生福祉財団理事長に就任

本年1月1日付で、韓国・共生福祉財団の理事長に、こころの家族の田内文枝総括理事が就任した。2017年に就任した慎承男(シン・スンナム)前理事長を継ぐもので、日本のこころの家族総括理事との兼務となる。「韓国に行き来しながら、こころの家族の働きもこれまで通り務めて参りますのでよろしくお願い申し上げます」と総括理事。3月12日に共生園の講堂で行われた理事長就任式に臨んだ。
田内文枝理事長は祝福の花束を受け取った後、7本の旗を背に、挨拶を行った。旗は共生福祉財団が運営する施設、木浦共生園、共生再活院、木浦障害者療育院、授産施設の務安自立院とイエソン自立院、全羅南道家庭委託支援センター、そして共生福祉財団を象徴する。

100周年に向け新しい一歩

共生福祉財団は1928年に尹致浩が創設した木浦共生園をルーツとする。韓国の社会福祉法が制定され、1956年、木浦共生園は社会福祉法人木浦共生園に。1977年に卒園生の自立のために、尹基理事長がソウルで職業訓練事業を始め、法人名を木浦共生園から共生福祉財団に変更。
さらに2014年、社会福祉法人共生福祉財団を分割、社会福祉法人尹鶴子共生財団が創設された。尹鶴子共生財団は国連「世界孤児の日」制定推進の他、木浦の施設支援、木浦高下島の開発、日本の「故郷の家」支援を受け持つ。
なお、韓国では日本と違い、「理事長」は名誉職であり無給だが、大きな責任を負うことになるのは変わらない。
共生福祉財団は4年後の2028年、創立100周年を迎える。記念すべき年に向け、新しい理事長の活躍が期待される。就任式での挨拶は本文の最後に。


共生福祉財団のあゆみ

1928年 木浦共生園開設
1956年 木浦共生園は社会福祉法人木浦共生園に
1972年 財団法人木浦共生園から社会福祉法人木浦共生園に
1977年 「ソウル少年少女職業訓練院」を開設
1977年 社会福祉法人木浦共生園を社会福祉法人共生福祉財団に名称変更
1984年 心身障害者施設 共生再活院 開設
1990年 ソウル市から 「ソウル上渓職業専門学校」の委託運営を得る
1991年 重度心身障害者施設「木浦障害人療育院」開設
1994年 保育所 シンフン子どもの家開設
2000年 授産施設 務安自立院開設
2006年 「ソウル 江南自活後見機関」を委託運営
2001年 授産施設 イエソン自立院開設
2017年 全羅南道家庭委託支援センター開設
2018年 共生園設立90周年記念式
2023年 共生園設立95周年記念式に尹錫悦大統領ご夫妻ご臨席


ごあいさつ

まず、神様に感謝申し上げます。
2月に各施設をお訪ねした際には、ご利用者様と職員の皆様が明るく迎えて下さり、感動しました。
園長様はじめ職員の皆様が熱心にケアされているお姿に、理事の皆様も誇りに思っておられます。本当に良い施設になったと思いました。
52年前に尹基園長と結婚して共生園に来て以来、共生園のことは忘れたことはありませんでした。
共生園は、尹致浩伝道師と尹鶴子女史が命をかけて守ってきた所です。
その苦難の生涯を思うと涙がこぼれます。
その時代に共に暮らし守って下さった職員や共生家族に心から感謝します。
尹基会長と私は、尹致浩の心、尹鶴子の心、その精神を皆様に知らせ、伝えて拡げてきました。
そして、今日の共生福祉財団があります。
「50年間共生園のために尽くしてきたのだから、あなたには理事長の資格は充分ある。受け入れなさい」と、慎承男理事長から言われて決心いたしました。
これからも天国におられる共生家族の皆様に喜ばれる施設づくりをしていこうと思います。何卒よろしくお願い申し上げます。
2024年3月12日

社会福祉法人共生福祉財団
理事長 田内文枝

田内文枝 1949年大阪市生まれ。71年同志社大学文学部社会福祉学科卒業、社会福祉法人博愛社入社。72年、木浦共生園園長だった尹基と結婚、韓国へ渡る。木浦共生園で働き「共生園の二代目オモニ」といわれた。82年3月、家族とともに帰国。「故郷の家」施設長などを経て、現在社会福祉法人「こころの家族」総括理事。

関連記事

寄付
採用
情報
故郷
の家