田内千鶴子の誕生日で命日でもある10月31日、高知市若松町の記念碑前で献花式が行われた。
献花式は高知田内千鶴子愛の会の寺田静代会長の司会で行われ、記念碑建立に尽力された西森潮三さん(元高知県議会議長)と、こころの家族田内基理事長の代理として出席した多胡元喜さん(同執行理事)が挨拶した。
西森さんは「記念碑は木浦から運ばれた長さ2m、重さ11トンの大きな原石で、高知市在住の書家・藤田紅子さんが〝愛のふるさと〟〝田内千鶴子生誕の地〟としたため、吉岡郷継さん(愛の会前会長)と寺尾晴邦さん(同事務局長)がその書を彫り上げたもので、碑は、韓国木浦の方向を向いており、碑のまわりに敷かれた小石は3千人の孤児を表している」と、経緯をたどった。
多胡さんは「初めて田内千鶴子さんの存在を知ったのは197 1年、水仙花合唱団が初来日した時。美しいハーモニーとあふれる笑顔に圧倒され、今もその感動が忘れられない。なぜ孤児であるこの子たちにこんなにも明るい笑顔と歌声が与えられたのか? 後になって、音楽教師のボランティアとして共生園に行った田内千鶴子さんの存在があったからだ、と知り、その時の衝撃的な出会いが元で、今の私があります」と摂理的な出会いがあったことを語った。
夕方からは高知日韓親善協会の総会、講演会、懇親会(田内千鶴子を偲ぶ会)が、会場を三翠園に移して開かれた。
懇親会では、高知県知事・浜田省司さん、高知日韓親善協会長・嵜本宏明さん、民団中央本部団長・金利中さん、日韓親善中央会理事長・石井和美さんがそれぞれの立場から「田内千鶴子さんは韓国と日本をつないだ愛の架け橋となった」と、その功績を讃えた。
多胡さんは田内基理事長からのメッセージを代読、「高知県、高知市の皆さんが田内千鶴子への愛を結集して記念碑を建てて下さって以来、27年経ってなお深く記憶に留め、母を慕ってくださることに胸が熱くなります。誠にありがとうございます」と謝意を伝えた。
記念碑の前で=前列左から寺尾晴邦さん(田内千鶴子愛の会事務局長)、嵜本宏明さん、多胡元喜さん、金利中さん、寺田静代さん、西森潮三さん、石井和美さん、吉岡郷継さん。後列右から5人目に金政弘さん(民団中央本部副団長)。
木浦でも「オモニ」を偲んで
韓国木浦では10月30日に「田内千鶴子生誕112周年記念共生家族の会」が開かれた。共生家族の会は共生園の卒園生たちの会で、例年ソウルで開かれるが、今年は木浦で開催、80〜90代を含む卒園生や各施設の関係者ら約50人が集まり、田内千鶴子を偲んだ。
卒園生のひとり、ムン・ヤンオク(文良玉)さんは80歳を超えた今もキリスト教会の勧士として日々活躍、今年は大きな賞も受賞、参加者の前でみんなのオモニ、田内千鶴子の思い出を語った。
翌31日は尹鶴子(田内千鶴子)財団の役員たちも木浦を訪問、共生園などを見学した。
共生家族の会は12月7日にもソウルで開かれ、礼拝や会食のひとときを楽しんだ。