「星野富弘 花の詩画展」盛況でした

5月10日〜19日、「故郷の家・東京」の地域交流スペースにて「 星野富弘花の詩画展」が開かれた。

主催は地元の住民のみなさんもメンバーとして参加した「江東地域星野富弘花の詩画展を開く会」(会長・田内基)。

会場の様子
テープカット 左から勝山健一郎牧師、高良順さん、田内基理事長、聖生清重富弘美術館館長、杉本昌典自治会長

 

 

 

 

 

 

 

 

開催直前の4月28日に星野さんが逝去されるという思いがけない出来事があり、詩画展は急遽「追悼展」となったが予定通り開催。

近隣の人々や訃報を聞きつけて近郊から駆けつけた人々も加わり、メディアに取り上げられるなど注目を集め、盛況となった。来場者たちは50点の詩画作品を丁寧に鑑賞、感動にひたっていた。

開催初日、かわいい歌とダンスを披露してくれた地元・聖華しおかぜ保育園の園児たち

詩画展を終えて   田内 基

今回の詩画展については近隣自治会、協力教会牧師会をはじめ、多くの支援者によって「地域密着型」のイベントが実現したことを大変うれしく思います。
また近くにお住まいのボランティアの方々の熱心なご奉仕によって当日の運営がスムースに行われましたことは、画期的なことで深く感謝いたします。
オープニングセレモニーに来てくださった来賓の方々、歌とダンスでお祝いしてくださったしおかぜ保育園の園児の皆さん、「感動は生きる力」のご講演をしてくださった富弘美術館の聖生清重館長、魂のサクソフォン演奏をしてくださった岸義紘牧師に厚く御礼を申し上げます。詩画作品をじっくり観賞してくださり、感動をことばにしてアンケートを書いてくださった皆さんにも感謝いたします。
「富弘さん、天国からの応援ありがとうございました」
(江東地域星野富弘花の詩画展を開く会会長、社会福祉法人こころの家族理事長)


高 良順さん

富弘さん、ありがとう 高良順(コウヤンスン)

33年前、群馬県にある「村立富弘美術館」に富弘さんの詩画を観に行った帰り、鑑賞の後の余韻にひたりながら帰る途中、車椅子で散策なさる詩画作家の星野富弘さんと偶然出会った。
あの時の出逢いが、今回の花の詩画展につながった事は、夢の様です。今もあの時の感動が忘れられない。
詩画展の10日間の日数の間、私は展示会場を周り一点一点詩画作品に「ありがとう」「ありがとう」と声掛けしていた。
会場内のいたる所で多くの皆さんに喜ばれ感謝されている状況を感じた時、こころが張り裂けそうだった。
あの時からずーと私の心の中に繋がり、私にとって生涯生きる勇気だ!
富弘さん! ほんとうにありがとう!(故郷の家・東京 入所者)

すべてが新鮮でした     杉本昌典

私は故郷の家・東京の近隣のマンションの自治会で会長をしていますが、日頃からイベントを企画し皆に楽しんでもらう事を生き甲斐として活動しています。故郷の家・東京には地域交流スペースがあるので、数年前より当自治会とは交流がありました。さて、私自身は星野富弘さんのことを今回の花の詩画展のお話があるまで全く知りませんでした。1月頃に故郷の家・東京の多胡執行理事より花の詩画展というイベントを企画しているが、その準備から手伝ってもらえないかとの話があり、お手伝いすることになりました。私は星野さんのことを全く知らないところからスタートしましたので全てが新鮮で、初めて観る作品群はとても個性的で魅力があり、星野さんの人生を知れば、その情熱や周囲の人への思いやりが感じ取れました。今回の詩画展にはボランティアの方々も参加し、また多くの協力者に知り合えたことも大変嬉しく思っています。皆様ありがとうございました。(自治会長)

富弘ワールドの虜   神成尚亮

先ずは、今回の詩画展開催に際し、お声かけ頂き携わることが出来たことに心より感謝申し上げます。
そもそも星野富弘さんのことをきちんと知るきっかけになったのは、開催に先立って富弘美術館ツアーに連れて行って頂いたことからです。
実際に美術館で本物の詩画を拝見するや、すっかり富弘ワールドの虜になってしまいました。
星野さんの詩画には命の尊厳、母への敬意、人々に対する感謝や優しい気持ち等、人間として大切な要素が全て盛り込まれています。そして、本来人間が生まれた時から備えている素晴らしい能力、生きる力、勇気、希望などを自然な形で導き出してくれます。
今、世界を見渡すと各地で戦争が絶えず、日本でも安易に人を殺したりする世の中だからこそ、星野さんの生き様や詩画の世界を一人でも多くの方々に知ってもらいたい。そんな思いを強く持ちました。
改めてこの詩画展が実現したことにある種の快感を覚えると共に成功を心よりお祝い申し上げます。(元日本テレビディレクター)

 

星野富弘詩画展を終えて        木村陽子

 星野富弘さんの詩画にこれまでどれだけ多くの人々が励まされてきただろうか。
故郷の家・東京で開催された星野富弘詩画展は、4月28日に78歳で逝去された星野さんの全国ではじめての追悼展となった。
 今回の詩画展を、中心となって、企画・実行された多胡元喜さんが、ながきにわたり、星野富弘さんと家族ぐるみの親交がおありだったことを考えると、神様のくすしいお計らいを感じずにはいられない。
 開催期間中の5月12日には、岸義紘先生の心に染み入るサックス演奏に皆聴き入った。
 600名以上の来場者に、毎日茶菓を用意してくださったボランティアの方からも、故郷の家…東京の入居者の方からも、「詩画展が終わるのが寂しい」という声をきいた。それほどに、会場は終始温かい雰囲気に包まれていた。
(大阪ガスグループ福祉財団理事)

 


◆寄せられた感動の声
来場者やボランティアのみなさんに「心に残った作品」や感想を自由に書いていただきました。その一部をご紹介します。

(来場者)

*「神様がたった一度だけ〜」の詩は、何度読んでも、聞いても涙が滲み出てきてしまいます。自分が年をとってきて、なお一層富弘さんのことばが心にしみます。
*大変な困難の中、心にひびく作品を命がけで制作されたことに大変、感動しました。つらいとき、困ったときにも心豊かに生き抜くことが大切だと痛感しました。
*富弘美術館に行きたく思いながらも実現できずにおりましたが、江東区で作品を拝見でき、感謝しています。
*印象的な作品は「傷─れんぎょう」です。日頃訪問ヘルパーの仕事に従事しています。身に沁みました。
*「木の葉、同じ重さ」。特にどくだみの絵。言葉にしてみると、実に美しいものだと感心しました。心が洗われたひと時でした。
*「この苦しみ きっと意味がある。いつかきっとわかる時がくる」「弱いから折れないのさ」
自分に向き合う時間ができて、とても良かったです。
*自分がいかに鈍感であったかと思いました。人生で「傷」も大事ですね。つまらないではなく、平凡な日々も大事。今日はいつもよりは感じ、考える機会となりました。
*あなたが苦しむことなく成功したとしたら、誰かがあなたの代わりに苦しんでくれたのです──どきっとしました。
*くちなしの花。ひとの悪口を言うのはよそう。一番最初に聞くのは自分の耳だから! わかっていてもなかなかそれができない自分。反省させられました。
*「命一式」の作品が心に残りました。神様からお借りしているこの「命一式」。今までの人生でどんなふうに使ってきたか、神様を知るまではそんな風に考えたことなどありませんでした。
*「いのちより大切なものがあると知った日、生きているのが嬉しかった」このことばにほっとします。もう私は私自身を生きなくていいんだ…私の内に生きているキリストを生きればいい! なんという慰めでしょう!
*私はかなり生きているぞ
悲しみに心を痛めている中で、一番心にしみました。
*「いちご」という作品を見て、目からウロコ。「苺」という漢字の中に「母」がいた。星野さんの本当に細かい目、アタマ、ココロの感性に私はふるえた。
*たった10gのペンで、こんなにもすてきな絵や詩を書いてくださり、私たちに癒しを与えてくださり、ありがとうございました。
*岸さんの若さにみんな驚きました。知ってる曲ばかり。とても豊かな時間でした。期待していた以上の感動がありました!
*花の詩画展も、木村陽子さんのショートメッセージも、岸義紘さんのサクソフォンも、とても素晴らしかったです! 心が洗われました。関係者の皆様の真心が伝わってきました。とても感動しました。
*同じ神様を仰ぐ者として、これからも星野さんの作品に助けられ、神様と共に生きていけたらと思います。天国に帰られた星野様ありがとうございました。たくさんのすばらしい作品を遺してくださり感謝申し上げます。

(ボランティア)

*作品展示の仕方や配置等、来談者が鑑賞しやすいように工夫されており、とても良かったと思いました。鑑賞後のコーヒーとお菓子サービスまで!
関連イベントでは、岸牧師によるサクソフォーン演奏に伺いました。楽譜も見ずに、たったお一人で十数曲を演奏くださり、その体力と記憶力、音色から伝わる生への希望と挑戦、音楽の素晴らしさを再認識できた時間となりました。
*富弘様の詩画は実に心打つ内容で、小生の人生にとっても有意義な感動を与えてくれ。また、それを皆様に無料で展示・公開してくださった貴団体のご厚意に深く感銘しております。ボランティアを通じて、小生も大いに勉強できました。ありがとうございました。
*富弘美術館ツアーと会計のボランティアに参加でき、心から感謝します。
「私にできることは小さなこと。
でもそれを感謝してできたら
きっと大きなことだ」が、特に心に残っています。
*この度のボランティアに参加させていただき、色々な方々との出会いがあり、深く生に刻むことがたくさんありました。知識、礼儀、本当に心から感謝、の言葉でしか表現できません。私のこれからの生き方を教えていただきました。


1946年、群馬県に生まれる。体育の教師をしていた70年、クラブ活動の指導中に頸髄損傷、手足の自由を失った。1972年から口に筆をくわえて詩や絵を描き始め、雑誌や新聞に詩画作品やエッセイを連載。また、82年から全国各地で「花の詩画展」を開催。
91年、群馬県勢多郡東村(現みどり市)に村立富弘美術館開館。2005年、(新)富弘美術館開館。著書多数。
こころの家族319号(2018年1・2月号)のインタビューに登場していただいた。2024年4月28日永眠。享年78歳。

 

 

 

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