千羽鶴/金滉植

千羽鶴 / 金滉植

  朝鮮日報には「金滉植の風景がある世界」というコラムが連載されています。筆者は大韓民国第41代国務総理を務めた金滉植(キム・ファンシク)さん。サムソングループの李健煕(イ・ゴンヒ)氏がサムソン創始者・李乗吉(イ・ビョンチョル)氏の雅号を冠して1990年に創設した湖厳(ホアム)財団の現理事長です。同財団は学術、芸術と人類の福祉増進に顕著な貢献をした人たちを表彰するために「湖厳賞」を主宰。2006年にこころの家族の尹基理事長が第16回湖厳賞を受賞したことは当時、会報「こころの家族」でお伝えした通りです。
田内千鶴子生誕110周年にちなんで執筆された昨年11月26日のコラム「3000名の孤児を助けた女性」で金滉植さんは田内千鶴子の生涯や「田内千鶴子生誕之地記念碑」などにふれました。続く今年1月14日のコラムでは共生園と小渕元総理、千羽鶴、梅の木のお話を紹介されています。日本語訳を掲載いたします。

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 去年11月26日〝3000名の孤児を助けた女性〟という題目でコラムを書きました。その後コラムに引用した方たちから連絡があり興味深い話を聞きました。私一人だけでは惜しいと思い紹介しようと思います。

木浦で3000名の孤児を助けた尹鶴子(田内千鶴子)女史の長男でキムチと梅干のある介護施設「故郷の家」を運営する尹基(田内基)理事長が私のコラムを見て韓国に来られた時私を訪ねられました。そして「木浦共生園」と小渕恵三元日本総理との因縁を聞かせてくださいました。

小渕総理は1998年10月、金大中大統領と共に〝21世紀韓日パートナーシップ共同宣言〟を発表し日本が過去に植民地支配で韓国国民へ大きな被害と苦痛をもたらした歴史的事実に対して痛切な反省と同時に率直な謝罪をした方だ。小渕総理は尹女史から長男尹基、孫の尹緑(田内緑)に引き継がれ運営されている「共生園」の話をNHKテレビのドキュメンタリーで観て感動し、尹緑共生園園長に電話をかけ〝必ず一度木浦を訪ねる〟と約束されました。

金鍾必総理が日本を訪問した時、歓迎晩さん会に尹緑園長を招待もしました。尹鶴子女史が亡くなる前病床で〝梅干しが食べたい〟と言ったという話を聞き、梅の木で有名な自分の故郷群馬県の梅の苗木20株を「木浦共生園」に贈り、園ではこれを尹鶴子女史記念碑の傍に植えました。

小渕総理が2000年、脳梗塞に倒れるや共生園の子どもたちは小渕総理の快癒を祈る気持ちで千羽鶴を折り病床へ贈りました。小渕総理夫人の千鶴子女史は千羽鶴を病室の点滴台に掛けて総理が目を覚ましたら最初に見えるようにしました。

2008年、共生園を訪れた小渕千鶴子さん

 

 しかし総理は回復しないまま亡くなられて小渕女史は千羽鶴を棺に納めました。女史は子どもたちに〝皆さんが贈ってくれた鶴は夫を天国へ導いてくれたと信じている。何時か夫の代わりに皆さんの元気な顔を見に行きます〟という手紙を書きました。

その後小渕女史は2008年に木浦共生園を訪れました。面白いことに尹女史の本来の名前は千鶴子。小渕女史の名も千鶴子で子どもたちの贈った鶴が千羽。何やら不思議な因縁です。
(朝鮮日報2023年1月14日 「金滉植の風景がある世界」から)

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