子どもが生きる。そこに誰かがいる

地球には、人間の子が住む権利がある。
ウクライナ戦争で失郷民、難民の数が1000万人を超えたと言う。 その苦労は、いかほどのものだろうか。
私が子どものころ、朝鮮戦争が起きた。父と母が営んでいた孤児たちの家・共生園は、
それまで50余名だったのが一気に500人以上に膨れ上がった。
寝る場所は畑や橋の下、屋根の下だった。
食べ物がないから山や海に行って何でも取って食べた。兄貴たちは蛇も焼いて食べた。
人間の生存本能は強い。でも栄養失調で赤ん坊や体の弱い人は死んでいった。
母は、なすすべがなく死んだ子どもをきれいに消毒し、ひと晩、横で添い寝した。
その体験を忘れる事はない。
失郷民、難民たちも時代は違えど大変だろう。明日が見えない生活は、どんなに辛いだろうか。

1982年、共生園の水仙花合唱団の公演を見た出版社の高橋さんに言われた。
「尹さんの経験を話して下さい。この頃の子どもたちはトンボが止まるとバッテリーが切れたと言う。
自然を、戦争を、貧困を知らないから」

近年、日本は空き家の増加や人口減の問題、働き手不足の問題を抱えている。
寝る場所もあり、働ける場所もあるのだ。
互いに尊重し、違いを認め、歴史や文化に配慮した施策で、ウクライナの失郷民を受け入れる道はないだろうか。
ウクライナの人々を受け入れることによって、私たちは戦争や貧困を知ることができる。
政治家の仕事だと思わず、私たちが行動することが必要ではないだろうか。

過日、五月初めに田内千鶴子の故郷・高知を訪ねた。
お世話になったシモンズ神父様と博愛園園長・武田紀先生のお墓がわからず、赤岡カトリック教会を訪ねたが、門は固く閉まり、ガスメーターも、電気も止まっていた。
大きく立派な教会なのに誰もいない。
なんともいえない寂しさだった。これは、教会だけではないだろう。

改めて思う。そこに誰かがいるということは偉大なことだ、と。

社会福祉法人こころの家族  尹基(Tauchi Motoi)   2023年7月1日

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