私のふるさと木浦。
なぜ、私を大勢の子どもたちの中に放りこんで愛してくれないのかと涙した木浦。
父・尹致浩(ゆんちほ)は韓国人なのに、母・田内千鶴子が日本人だといじめられた木浦。
朝鮮戦争で父が行方不明になり、母は子どもたちを守るのに苦労をして56歳で亡くなった。
私が20代の時だ。
「これからは日本語を勉強しなさい」と広辞林7巻を下さった教育長の金容鎮(きむ よんじん)先生。
「高知の坂本竜馬の読み方は、りゅうまではなくりょうまだと教えてくれた
医師の車南守(ちゃ なむす)先生。
「boys be ambitious! 少年よ大志を抱け! あなたのおやじはイエス様のように隣人を助けたいと
18歳でナザレ木工所を始めた!」と一喝した父の後援会長・車南錫(ちゃなむそく)先生。
「親父を知りたかったら 賀川豊彦先生の〝死線を超えて〟を読みなさい」と言った林基奉牧師。
「お母さんは謙虚な方だった。
お母さんを記念して世界孤児の日を作りなさい」湖南毎日新聞の趙孝錫(ちょうひょうそく)先生の言葉だ。
このように木浦の方々から勇気と励ましをいただきました。
木浦の人々が日本人田内千鶴子を愛してくださったように、
日本の皆様は在日コリアンを大事にしてくださいと、呼びかけることができたのです。
これが、故郷の家の原点です。
感謝の気持ちと謙虚な姿勢で、今朝も、木浦に向かって頭を下げた。
社会福祉法人こころの家族 尹基(Tauchi Motoi) 2022年9月1日