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5 ボランティアから介護主任、笑ってもらえる介護を

   南谷優子さん 故郷の家 介護職員

介護びと5 南谷優子さん 介護職員

 1989年に故郷の家が堺に創設された約2年後から現在に至るまで、一貫して介護の最前線で働き続けている南谷優子さん(65歳)をご紹介します。
 ベテラン介護職員として職員からもご利用者からも信頼の厚い南谷さんは10年間以上介護主任を務めた後、3年前からパート職員としてまた、現場でご利用者に寄り添っています。南谷さんの常に謙虚な姿勢はご利用者さんを惹きつけています。故郷の家の歴史を介護の立場から支えてきた南谷さんは、ご利用者1人ひとりに対する深い尊敬の思いを持ち続けています。

 福岡県出身の南谷さんは、就職のために大阪へ。20歳で結婚して3人の子どもに恵まれ、子育てに専念していました。子育てが一段落した頃、開設まもない故郷の家にボランティアに行っている近所の人から「どうしても行けなくなったから今日だけ、代わりに行ってくれない?」と、ピンチヒッターを頼まれます。軽い気持ちでボランティアに行ったのが故郷の家との出会いでした。その日、お風呂の介助や衣服の着替えを手伝いながら「ここで働きたい!」と強い思いがわき上がったのです。

ボランティアから職員に

 両親が忙しかったため祖父母に育てられた南谷さんは、おじいちゃんおばあちゃん子で、もともとお年寄りが大好き。増して、創設時の故郷の家にはシスターが在駐、地域のボランティアもたくさん集まり施設全体が生き生き。すぐに「介護の仕事をしたことがない私ですが、ここで働かせてもらえませんか」と、頼みこみました。しばらくボランティアで通い、職員に。
 当時は約8割が韓国人利用者で、施設内では音楽が鳴り、どこからかチャンゴ(韓国の太鼓)を打つ音が響き、それに合わせ踊る利用者もいるなどとにかく施設内が明るく華やかで活気に満ちあふれていました。「韓国の国民性か、皆さん明るくてご利用者と一緒に踊ったりもして、仕事が本当に楽しくて楽しくて」と、南谷さん。気の強いご利用者とケンカすることもありましたが、介護職として夢中で駆け抜けていました。
 ベテランになり、大きい役職ポストへと声をかけられたこともありましたが、すべて断り、現場にこだわってきた南谷さん。「私の一番居心地の良いところがご利用者さんと一緒の時なんです」と話します。たとえ認知症になられた方でも、人生の先輩として得るものがある、とも。

利用者さんに笑ってもらいたい

 南谷さんには今でも忘れられない夜勤勤務時のシーンがあります。深夜、見回りに行くと1人のご利用者から呼ばれます。部屋に行くとしみじみと「私は年を取ったけど、心は20歳のままなのよ。けれど、娘は『そこに行っては駄目。それはもう、出来ない』とばかり決めつける。私はできるのに。年を取るって苛酷ね」と、話してくれました。その言葉が頭にこびりついています。好きで身体が不自由になったり、物忘れをするようになる人はいません。この話を聞いてさらに「初心に戻り、もっと心も身体も寄り添った介護をしたい」との思いが強くなりました。でも、「ご利用者さんとは今でも時々ケンカもするのよ」と。どうしても分かってもらわなければいけない事があるときにはつい厳しい口調で言ってしまい、あとで後悔。「しばらくして『この前は、言い過ぎてしまい、ごめんなさい』と、謝るんだけどたいがい皆さん、この前のことなんてすっかり忘れていて」と、愛おしそうに笑う南谷さん。
 「故郷の家での介護」の仕事に携わる一番の理由は、理事長の理念「共に生きる」に共感し、この施設で働いていることを「誇りに思っている」からです。今では約7割のご利用者が日本の方ですが、中国や韓国のご利用者も一緒に過ごしています。どのご利用者からも大切なことをいっぱい教えてもらえる、このような仕事はほかにない、と話します。「これからの目標は、会話の中などでご利用者さんに1日1回でも、『くすっ』とでも、笑ってもらえる時間を提供できる介護」と南谷さん。

故郷の家 こころの家族 会報313号 2017年1・2月号 「職員さん登場 介護の現場からD」 より


     
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