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母と子のコミュニケーション A |
ソーシャルワーカー 尹基
社会福祉法人 こころの家族理事長 |
恵の歳月
2月になれば大学を卒業して半世紀、思えば「恵みの50年」だった。
感謝。感謝また感謝である。
孤児の世話に明け暮れていた母。私たち4人兄弟は、親がいるのに孤児の中で育った。いじめや寂しさに母を恨めしく思った。子どもの頃、一度も学校に顔を見せなかった母が、大学の卒業式に姿を見せた。うれしかった。その日、母と撮った写真がある。大事な一枚だ。少し色が変わった写真の中の母と感謝の対話をする。
あなたは、私が神学校の社会事業に進みたいと相談した時、こう言いました。
「この事業は終わりがない。今、ここにいる子どもたちが成長して社会に出ていけば、また新しい子らが入ってくる。一つの問題が解決すれば、また、ほかの問題が起こる。本当に終わりのない事業、未完成の作品のようなもの。私の考えでは、医科大学に進学してあなた自身の道を開拓したらいいと思う。この事業はお父さんが帰ってくる日まで私が守ろうと思っている。あなたたちにまで苦労をかけたくない」と。
社会事業を勉強するのは、共生園の将来を考えてと母は思ったようだが、まったく違った。デンマークの農村指導者 E・Mダルギャスは、戦争で亡くしたものを内で探そうと主張して今日の酪農国家デンマークを作り上げた。この話を「新しい歴史のために」「ユートピア原始林」などの本で知り、当時貧しかった韓国を豊かにするには農村を豊かにすることだと、私は地域開発に魅力を感じていたからだ。
母が亡くなり、26歳で320人の孤児の父となり、子どもたちから、障害を持つ人々から、高齢者から教えられ、暖かい心に支えられて今日がある。
この50年間、驚くばかりの恵みであった。
2016年1月1日
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